野田の醤油 — 江戸を支えた濃口の産地と利根川の水運
千葉県野田市は、利根川と江戸川の水運を生かして江戸の食を支えた濃口醤油の集まる町です。1917年に作られたキッコーマンの前身となる合同会社のことや、独立を保つキノエネ醤油など、野田の醤油文化と歴史をまとめます。
千葉県野田市は、利根川と江戸川という2つの大きな川に挟まれた場所にあります。この地の利を生かして、江戸時代から濃口醤油の大きな産地として育ってきました。江戸の食を支える水運の拠点で、1917年には野田の有力な醸造家たちが集まって、野田醤油株式会社(今のキッコーマン)を作りました。
野田の醤油とは
野田の醤油は、千葉県野田市で造られる濃口醤油のことです。野田での醤油づくりは江戸時代初期までさかのぼり、1661年に高梨兵左衛門が醤油の醸造を始めたと言われています。利根川と江戸川を結ぶ水運によって、人口100万人の江戸の需要を支える供給地となりました。文化・文政期(江戸時代後期)の江戸前料理の広がりとともに、濃口醤油の需要も大きく伸びました。GI(地理的表示)や地域団体商標としての「野田醤油」の登録は、いまのところ確認できていません。
関東平野で採れる質のよい大豆や小麦、行徳など江戸湾沿いで作られた塩を集めやすい場所にあります。
利根川と江戸川の水運に恵まれ、高瀬船(底の浅い大型の川船)で野田から江戸まで運ばれました。
1781年には7家の醸造家が集まる組合ができ、産地としての仕組みが整いました。
江戸時代後期には高梨家と茂木家が、幕府の御用醤油(幕府に納める醤油)に選ばれました。
1917年に茂木6家・高梨家・流山堀切家の8家が一つになって野田醤油株式会社が生まれ、200種類以上あった商標は「亀甲萬」に統一されました。
代表的な蔵元
野田で操業している代表的な醤油醸造元を紹介します。
キッコーマン — 1917年に野田の8家が一つになって作った野田醤油株式会社が前身で、ルーツは17世紀の高梨家と茂木家までさかのぼります。亀甲萬の商標は、茂木佐平次家のものを統一商標として採り入れたものです。
キノエネ醤油 — 1830年(天保元年)に山下平兵衛商店として始まった、野田で唯一の独立系の醸造元です。明治期の事務所兼主屋などが、国の登録有形文化財になっています。
レシピ例 — 蕎麦のかえし
濃口醤油の風味を生かす江戸料理の基本が「かえし」です。蕎麦つゆやうなぎのたれ、煮物の下味に使えます。
濃口醤油 200ml、ざらめ(または砂糖) 40g、みりん 50ml を用意します。
鍋にみりんを入れて弱火で煮切り(アルコール分を飛ばし)、ざらめを加えて溶かします。
火を止めて醤油を加え、沸騰させずに60度ほどで温めます。
清潔な瓶に移し、冷蔵庫で2〜3日寝かせると味の角が取れます。
使うときはだしで4〜5倍に薄め、蕎麦つゆとして使います。
もう一歩先へ
野田市郷土博物館やキッコーマンもの知りしょうゆ館では、醤油醸造の道具や江戸への水運の歴史を学べます。キノエネ醤油の建物群は2007年に近代化産業遺産に選ばれていて、街歩きとあわせて訪れると、野田の醤油文化をより身近に感じられます。
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